食 報道 絆通信記者の視点から東北の農業、水産業を見つめます。

『ご挨拶』

非営利活動法人食報道絆通信代表の熱海和司です。
2011年3月の大震災より私たちが今するべきこと。
長年、食材やその流通に携わっている私たちに出来ることは何かと考えて参りました。そして、被災した生産者の方々の今を伝え、復興する姿を少しでも広く詳しく伝えることを続けて参りました。
震災から6年を過ぎ、津波により倒壊した工場、市場、漁港、農業施設、商店街などが場所を移し再建され、新たに道路、堤防と被災地は姿を変え、復興が進んできていることはテレビや新聞で伝えられています。
しかしながら、三陸の特産品「ホヤ」や「カキ」、福島相馬地区の「ヒラメ」や「カレイ」、豊かな大地で育った東北の農産物が、現在、原発事故の影響、風評被害に悩んでいる状況が続いております。
震災前には多くの人が従事し、集まっていた場所はいまだに復興が進んでいるとは言えません。

そんななかで、ひとつ良いニュースがありました。仙石線の全面開通です。
食報道絆通信は宮城の被災地の復興を自転車の力で後押しするイベント、「ツールド東北」に3回参加しています。
そのテーマに「応援してたら、応援されていた。」と言う言葉が使われています。

私たちは更に深く被災地生産者を主に、最新の形で産地より直接、情報と商品を消費者の皆さまへお届けしたいと考え、「新産地直送システム」を開設、新たなスタートを致します。
それには皆さまのお力添えが必要です。 我々は今後も被災地生産者の方々を応援して参ります。
何卒皆さまには我々の活動を応援して頂きたくお願いいたします。
2017年11月2日

新着記事

『女性』『外国人』『若さ』3課題を克服 野菜農家を起業

宮城県北部の日本でも有数の穀倉地帯。
そこで75aの狭い農地ながら、意欲あふれる農業を始めた人がいる。弱冠25歳の女性、加えて、生まれも育ちもインドのニューデリィーのブシャン・アケボノさんである。

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ブシャン・アケボノさん

新たに野菜農家に挑戦、2013年6月から米作地帯の真ん中で野菜の栽培を始めた。父親の仕事の関係で中学2年生の時に仙台市にインドから移住、初めて日本での生活を送ることになったという。
 もちろん日本語はしゃべれないし読み書きもできない。それが突然、日本の中学校に投げ出された。だが、ブシャン・アケボノさんは前向きに捉え、日本で生きていくことを考え、日本語を学び、日本での生活に溶け込んでいくことを選んだ。そして、日本の生徒同様に高校受験の季節、ブシャン・アケボノさんもその渦に巻き込まれた。
 その頃、父親は仙台市内でレストランを経営。そこで、父親の仕事に対する姿勢や取り巻く環境、交流する人々などを通して、農業へ興味を持ち、宮城県立農業高校受験を目指し、勉強を重ねた。そして宮城農高に合格、授業を受けながら、本格的に農業に触れて、改めて『職業としての農業』を実感、同時に更に学ぶことを望み、宮城県立農業大学校に入学した。

 もちろん、その間のブシャン・アケボノさんの努力は、並大抵のことではなかったに違いない。異郷にあって、言葉を学び、慣れる、そして生活する。学校で学び、その上に農業を志す。そこで必要な技術―運転免許証、トラクター免許、食品衛生管理士資格なども取得、学生時代は勉強と柔道、寮生活でそれしかなかったとも笑う。

 宮城県農業大学校時代、宮城県美里町で40日間のホームステイを体験、そこで過ごした日々を通じ、「ここで農業をしたい」、「野菜を作りたい」との強い思いから、ここに根を下ろすためまず住居を探し、農業を始めるために農地をかしてくれる人を探したという。
 近年、行政の新規就農者への仕組みも厚くなり、さまざまな手助けも出来てはいるが、現実的にはその煩雑さや実際に対応してくれる人の少なさでなかなか踏み切れない人が多いという。

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ブシャン・アケボノさん

そんななかで、ブシャン・アケボノさんは住居を確保、農地2ヶ所75aを借り受け、米作地帯の真ん中で無農薬有機野菜の生産を始めることとなった。
 始めるには、畑のほか、種や苗、耕すための機材やトラックなど多くの備品が必要、それ以上に、商品になるような野菜を作るためには、金銭的な裏付けと積み上げられた農業技術を欠くことが出来ない。ブシャン・アケボノさんは行政や農業委員、普及センター担当者、そしてよき先輩、そして多くの支援者の協力もあって、野菜農家をスタートするにいたった。
 もちろん、これには日本が好きだった父親の影響が非常に大きい。名前の『アケボノ』は枕草子の「春はあけぼの」から名付けたという。農業を志したのも、父親のレストランの仕事を見て、食の大切さを知り、野菜の重要さを学び、そのうえで農業の深さを知識として得たという。

現在、ジャガイモ、トマト、タマネギ、ニンジン、ホウレンソウ、ブロッコリィなど約20種を生産、飲食店や個人への販売、イベントでの直売など仙台市や多賀城市、大崎市などで販売。JAの女性部に属し、地域活動や6次産業化にも前向きに対応しているという。同時に、宮城農業大学校時代の同級生などで農業への志がありながら実際に農業に従事していない仲間へ農業への道を拓いていきたいと願いも持ち続けている。

6月、ブシャン・アケボノさんに会いに、美里町の自宅へお邪魔した。初めてお会いして、ぜひ、頑張っていただきたいと思った。初対面の人に「ぜひ、力になりたいと思わせる何かを持っている」ブシャン・アケボノさんの場合は、まだ稀有な例かもしれない。また、幸運なスタートといえるかもしれない。だが、就農の道が広がっているのは事実、さまざまな形で農業と出会い、米や野菜を生産、供給することが可能になって来ているともいえよう。

2015年06月29日
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