オオクラ食品
被災地ー南三陸の石巻 復興は遅々として進まず
石巻の復興は、遅々として進んでいない。東洋一の長さといわれる石巻漁港の岸壁はすっかり整備され、金華サバなどを追う小型漁船、遠洋旋網船やカツオ・マグロ旋網船など大型漁船の着岸、荷卸しも可能。それに付随するように、石巻魚市場のセリ場、社屋も完成し、水揚げも震災以前に比べ8割方回復している。囲むように広がっていた加工団地、冷蔵庫群も大手どころは、様々な補助事業や政府資金の導入など手厚い支援もあって復興、返って原料の確保、製品の販売先、人手不足など新たな課題に直面している。また、道路などアクセスは、いまが復興の最盛期、新しい街創りが確実に進んでいる。

だが、あえて「復興は進んでいない」と言わざる得ない。6月下旬、『いしのまき元気いちば』が石ノ森萬画館の対岸にオープンした。かつての石巻の中心街で老舗料理料理店などが建ち繁華街からすく近く、1階は鮮魚店や水産加工品、地場野菜、パンなどの直売コーナー、2階は飲食スペース、ここに来れば石巻の人気商材や土産物が手に入るだけでなく、地元民の日々の買い物にも役立つ。だが、その集客力とは別に周辺は空き地が目立つ。また、石巻駅から、『いしのまき元気いちば』商店が連なっているものの、空き店舗が目立ち、昼間ながら街歩きしている人が少ない。被災を機に、周辺の市町村へ移動したり、仙台へ逃れた人もいて、思いのほか町の賑わいは戻っていない。
オオクラ食品のサンマ佃煮 隠れた味がじわじわ人気
そのようななかで、恐れるのが石巻の主要産業ー水産加工業に携わっていながらも戻ってこない人々の行方。新規移住者の少し見られるが、かつての賑わいから程遠い、閑散とした街の風景がそこかしこにうかがわれる。高齢化、人手不足、資金不足、意欲欠如など様々なケースが考えられるが、東日本大震災を機に長年積み重ねた味と技を捨て、稼業や愛された商品を手放すのは淋しい。同時に、これは石巻地区全体の勢いを削ぐことにもつながり、憂うべき事態といえよう。
魚市場の北ー大門町にある㈲オオクラ食品(畑照之社長)は、東日本大震災で大きな被害を受け、再生の道を模索していたが、いよいよ新たな工場を建設、次の時代へ新たなかじ取りを切り始めた。

まず、多くのお客様に食べて頂きたいのが『サンマ佃煮辛味』。北洋で水揚げされた脂ののった良質のサンマを冷凍。注文に応じる形で、販売する分だけ解凍して、直ちに大釜でコンブ、トウガラシ、醤油、砂糖、タラコなどでじっくり煮込む。美味しく炊くには、その配合、時間、そして気候や温度などと微妙なコツが必要だが、この技術にこそ同社長が、石巻の水産加工会社の現場に立ち、舌と腕で自ら創り上げた味が生きている。
同社は、東日本大震災の津波で、工場と自宅の2階部まで水没、工場内の設備など全滅した。だが、2年後製造を再開、さまざまな魚種、加工製品での再生が考えられたが、顧客からの要望、三陸の原料供給事情、工場能力などから『サンマ佃煮辛味』を復興の1歩として進めていくことにしたという。
新工場いよいよ稼働 これからが復興の本番

同社の現在の工場は、石巻市の新道路建設の用地となるため、近々、新工場への移転が必要になる。そのこともあって、東日本大震災から6年と5ヶ月、父や叔父が積み重ねてきた技、味を武器に、新たな気持ちと良い製品を造ろうとの強い意欲、そして職員が一丸となって、その美味しさを広めていきたいと願っている。
水産都市ー石巻、一見すると復興は着々と進んでいるようにみえるが、零細の企業やひとりひとりが新たな意欲を持ち、顧客に愛され、製品が受け入れられる―この道を歩み始めて、復興のスタートラインに立つといえるのかもしれない。後継者を任ずる加工品部の畑與仁(ともひと)さんの奮闘ぶりをこれから追いかけてみたい。